Torchの眼差し (1) 社内アントレプレナーシップに関する議論の出発点

執筆者 | 2021年04月21日 | 未分類

プロローグ:或るシーン

社長は新規事業の検討を指示し、数ヶ月の後に、担当者からプレゼンテーションを受ける。

顧客ニーズ、市場規模、競合に対する優位性、数値計画と一通りのトピックについて議論が進んでいく。論理に大きな問題は無さそうだ。

…しかし、何かが足りない…

プレゼンテーションの後に質疑応答があり、そして、社長が質問する。

「それで、この事業は、誰が担当するのか?」と。

検討の担当者は誰も、その質問を受け取らずに、目を伏せた。

横に並ぶ経営メンバーも同じく、テーブルに視線を落とす。

社長の質問はそのまま、会議室の真ん中で行き場を失い、床に沈んだ。

「事業を作る」とは、その事業に心身を注ぐ「アントレプレナーを作る」こと、そのものである。

にもかかわらず、「アントレプレナーシップ不在の事業開発」のなんと多いことか。

社内にはヒトもカネも十分な量があるはずなのに…

その質的な覚醒の契機を、どう作るか。

「人材がいない」という嘆きの意味

 ほとんど全ての会社は1つの事業の誕生とともに生まれているし、ほとんど全ての事業は経営者となる1人(または数人)の自我やエネルギーや汗とともに生まれている。その出来事とは、個人と会社と事業とが一体不可分なものとして誕生する瞬間である。ところが、その事業が大きくなるにつれ会社の規模も大きくなり、外部環境からの圧力に対抗するべく分業と効率化も進むうちに、会社が、自我やエネルギーや汗を失い、「乾いた機械」に姿を変えてしまうことも多い。恐ろしいことに、その「乾いた機械」であることが、短期的な生産性や業績を上げることに資するように見えてしまうことも少なくない。

 事業開発をするにあたって「それを担う人材(アントレプレナー)がいない」という声を聞くことも多いが、それは事業開発ができない「原因」であるとも言えるが、さきほどのような文脈で捉えると、事業開発をしてこなかったことの「帰結」でもあると言えよう。それゆえ、「社内に事業開発を担う人材(アントレプレナー=企業家)がいる状態にする」ということは、経営的に言えば「自社をアントレプレナーシップがある体質にする」ということに言い換えることができる。否、先ほど述べた会社が誕生するストーリーに立ち返るのであれば、「アントレプレナーシップを『取り戻す』」と言うべきか。

 一橋大学イノベーション研究センター長の青島矢一氏(「既存事業からの資源循環による新事業創出」(一橋ビジネスレビュー(2020 SUM.)))は、1990年代中盤以降、日本企業が合理的経営を追究するあまり、(一見すると)非合理にも見える革新活動に経営資源を十分に投入できていないのではないかと問題提起している。資本効率の追求、ステークホルダーへの説明責任、コンプライアンス、働き方改革などの圧力により、革新活動が起こりづらくなっているような状況を「(筆者補足:経営資源や知識の)余剰はあるものの、それが革新活動と結合できていない『結合不全』が生じている可能性が高い」と表現している。

 本稿では、会社が、経営資源の「結合不全」状態を解消し、アントレプレナーシップを取り戻すための契機として、社内にいる企業家(アントレプレナー)個人に光を当て覚醒させることについて議論する。

社内アントレプレナーシップ覚醒のアプローチ

 私どもoririは、ベンチャー企業への事業投資を実践しながら起業家の誕生と成長について研究を重ねるREAPRA Ventures社とともに、企業における社内アントレプレナーの探索と抜擢、その結果としての会社自身のアントレプレナーシップの覚醒について、共同研究と実践に取り組んでいる。

 例えばREAPRA Venturesが(仮説として)掲げる起業家(アントレプレナー)の要素として「エフェクチュエーション」「メタ・マルチ」「自己批判的内省」「独自の価値観」がある。「エフェクチュエーション」とは、未来を予測して因果関係を整理したうえで目的から手段を算定して行動するという「コーゼーション(因果律)」の対極にある思考・行動様式で、行動を起点に結果を導き、そこから目的に対する意味合いを紡ぎ出し学習を続けるアプローチのことである。その学習においては、「メタ・マルチ(物事を抽象度を上げたうえで多面的に捉えること)」「自己批判的な内省」が必要であるし、その実践と学習を継続するためには「独自の価値観」に立脚した内発的動機が必要となる。(詳細は、REAPRA Venturesウェブサイト等を参照いただきたい。)

 会社としての事業開発を議論する場合には、こういった観点でアントレプレナー個人に着目するのと並行して、会社としての事業開発の意義や合理性にも目を向ける必要がある。言わば、「会社としての『らしさ』や事業合理性の道と、個人の内発的動機の起点にした道とが、交差し、社会や業界といった外部環境からの要請と重なる部分において事業開発をする」ということになる。具体的には、①社内アントレプレナーの種が育つ(少なくとも去勢されない)社内環境を整備すること、②社内アントレプレナーと、その個人と会社それぞれの動機が交差する事業アイデアをセットで発掘すること、③その事業アイデアを担う組織を既存組織から自立・自律させて成長を律速すること、などがアプローチになるであろう。世に溢れる新規事業開発のノウハウのほとんどが、検討のプロセスやフレームワークのみを語っており、それを担うアントレプレナー個人について目を向けていないこととは一線を画すものであると自認している。

企業家(アントレプレナー)という存在の意義

 新しい事業を担うアントレプレナーという存在が、新事業を牽引するにとどまらず、会社全体や既存事業を変える触媒ともなるという観点から、2つのことを述べたい。

 新しい事業は既存事業とは異なるスピードや論理を持つであろうし、新しい組織は既存組織から線引きされた自我や個性を持つであろう。アントレプレナーという存在は、そんな新しい事業・組織を、様々な不確実や想定外に直面しながらマネージManageすることを強いられる。「Manage to ~(なんとか~する)」という表現があることが示しているとおり、「なんとか『何を?』するのか」ということは「Manage」という言葉の中には自明のこととしては含まれておらず、その対象が新事業・組織だとすると、「それをなんとかする」ために「なんでもする」ということになる。その実践経験は、個別の機能や部門を管理する立場では得られないものである。シビアな意思決定という実践経験を重ねることを獲得される「体幹の強さ」を備えた人材が全社の経営メンバーになっていくことが、会社としての「体幹の強さ」に繋がっていく。

 また、このアントレプレナーという存在は、社外の異文化を選択的に翻訳して、会社全体に対して受容させる「窓」になるとも言える。社会心理学者の小坂井敏晶氏(「社会心理学講義」)は、<閉じた社会>であるはずの日本が、戦後の著しい西洋化に示されるような<開かれた文化>を持つというパラドクスに目を向け、福沢諭吉のような「異文化に対する窓(これは、私の理解の言葉です)」の存在があったことで、むしろ受容しやすい形で異文化が入ってきたのだという要素を踏まえることで、このパラドクスを解いている。多くの日本企業も或る種の<閉じた社会>であることを考えると、新しい事業・組織を牽引するアントレプレナーは社外の異文化に対する「窓」になり得る。「会社の常識は、社会の非常識。社会の常識は、会社の非常識。」というような揶揄がなされることもあるが、社内の「アタリマエ」に新しい空気を入れることは強い意志を以て取り組む必要がある。それゆえ、新しい事業・組織の自立・自律と、既存事業・組織との接続/接触は、絶妙なバランスが要求される、経営者にとって重要な論点である。

株式会社Torchは、oriri とREAPRA が共同して、企業向けに「新事業創造を通じた学習と進化」を支援することを目的に設立しました。