経営とコンサルティングの原風景

経営の原風景を取り戻す

Origin in Management

経営コンサルティングが「仕事」として徐々に輪郭を獲得して以降、それは「業界」として発展・拡大し、1つの「産業」となりました。そのプロセスでは、経営は科学できるものである、という1つの「主張」を展開し、やがて、それは「常識」となっていきました。経営を科学的・合理的に進めることができること、進めるべきであることには、異論を挟む余地はありませんが、一方で、それが、経営の中心に座っていることには、違和感を抱かざるを得ません。経営というものは、人が、そして人々が、直観と熱意を持って生み出し、紆余曲折・三歩進んで二歩下がる、を繰り返しながら、何とか獲得した成功を分かち合う、という営みであったはずです。ところがいつの間にか、経営は経営管理となり、組織的な予算計画を事業計画(分厚い書類!?)と呼んで作り、ステークホルダーに説明(論理的なプレゼンテーション!?)し、そこでの約束(財務指標でのコミットメント!?)を(時には手段さえも選ばず)守ることに奔走する、という一連の機能や業務となってはいないでしょうか。その業務に大いなる価値があることは疑いのないことですが、その業務自体が目的となっているのであれば、それは「手段が目的を喰っている」と言わざるを得ません。別の言い方をすれば、経営の本質が、統合(Synthesis)のセンスと覚悟にあるはずなのに、経営の現場は、分析(Analysis)の精緻化の方向に邁進しているのではないか、という思い、あるいは危機感です。

 不確実性が増す時代(…ところで、「不確実性のない時代」なんて、ありましたでしょうか?...)において、組織の認識と行動を変え、新しい経営のスタイルや新しい事業のカタチに向けて可能性を切り開く力は、経営の原風景にある、と信じています。

コンサルティングの原風景を取り戻す

Origin in Management Consulting

コンサルティングは、上記のような流れにおいて、クライアント側と相互に作用しながら発展してきました。クライアントの様々な機能や業務を専門家として支えるべく、コンサルタントは「専門家化」し、コンサルティング会社は「総合化」していきました。コンサルティング会社での人材開発では、会社の目標に向かって、そういった専門家を効率的に再生産できるように思想とシステムが整備されてきました。それは、コンサルティング会社そのものを、科学的・合理的に経営してきたことの帰結でありましょう。ただ、経営の原風景を信じるという立場に立つのであれば、コンサルタントの姿やコンサルティング会社の形にも、別の哲学があるはずです。その立場から見ると、コンサルティング業界発展の歴史は、コンサルティングが経営の本質・中心から離れていっている歴史のように思えてなりません。

思えば、コンサルティングの原風景は、経営者とコンサルタントが対峙して語り合うところにあります。そこには、(前提となる専門性はありつつも)膨大な分析や分厚いプレゼンテーション資料はなかったことでしょう。ましてや、作業の請け負いなど…。経営に関する意思決定者の孤独に寄り添い、耳を傾け、意見を述べる、そして、時には聞き・語り、時には共に行動することによって組織の非連続な変化に作用する、ということを1つ1つ重ねていきたい。敢えて言えば、私たちは、(既存の)コンサルタント像を放棄します。(ほんとの)コンサルタントになるために。