人材開発・協業に対する考え方
oriri という場では、それぞれの人材が、各自のOriginalityを発揮しながら発展していくことを期待します。
クライアントとコンサルタントのOriginalityが共鳴した時、そこに、唯一無二の関係が成立するからです。
「コンサルタントは、独立したプロフェッショナルとして研鑽すべきである」ということと、「コンサルティング会社として活動の分担をしながら組織的に業務を進める」ということの間には、根本的に緊張関係があります。あるいは、河合隼雄氏の言葉にも、こうあります。
「教育」という字は、「教」と「育」に分けることができる。そして、興味深いことは、育という語は、育てる、育つ、と他動詞にも自動詞にも用いることである。
教育ということには、教育する側と、教育される側とがあり、教育する方から考えると、やはり自分が「教える」という行為に重点がおかれ、その後で、「育てる」ということが考えられるが、「育つ」となると、これはその本人の自発的なはたらきであるから、教育とは関係がない、あるいは考慮の外にある、ということになりがちである。
しかし、教育ということを深く考えるならば、そのベースに、教育される側に潜在している自ら「育つ」力ということを無視することはできないのではなかろうか。「教育」ということは、これまではどうしても、教育する側の視点から発言されることが多かったので、何を、いかに教えるかに重点がおかれがちで、「育つ」はおろか、「育てる」ことの方さえ、軽視される傾向が強かったのではなかろうか。
教育を教育される側から見る、ということは困難なことである。これまでの教育論を見ると、教師が生徒に何をするべきか、何をしてやれるか、いかにするべきか、などと常に教師から生徒への一方向のはたらきかけの姿勢が目立つのである。しかし、すでに戦前において木村素衛氏が「教育とは、精神の自覚的自己発展が、他人の助力の下に遂げられるという根本的に矛盾した概念である」(木村素衛『国家に於ける文化と教育』岩波書店)と述べているのは、注目に値する。 (出所:河合隼雄『子どもと学校』岩波書店)
私たちの船出の意義の1つは、河合氏の議論を引き継ぐとすれば、「育(育つ)」ということに重心を置いた組織運営をするという挑戦です。コンサルティング会社の組織運営・人材開発の考え方は、論理の世界の宣教者であるコンサルタントが設計・運営していることも影響して、「教」に重心を置きすぎていたのかもしれません。
あるいは、あらゆる業界において、「個人の力」と「組織の力」のバランスをどう取るのか、ということは大きな問題です。特に、“和を以て貴しとなす”の価値観を持つ日本人にとって、この問題の解消は一筋縄ではいきません。一方で、そのような日本という国で、「個性を大切にしよう」という主張が一般化しつつある事態は、我々に難問を突き付けています。
私たちの挑戦が、こういった問題に直面する社会に対して、何らかの示唆を提示できるのであれば、これほど喜ばしいことはありません。
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また私たちは、クライアントに対して様々な(外部からの)刺激を与える存在であるために、社外の専門家とのコラボレーションにも積極的です。
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